多目的室

絵描きと他の趣味を両立したい

価値観と信念の再考

ご無沙汰しております。年始ぶりですね。年々時間の経過が早すぎてやばいです(語彙)

 

最近はあまり読書していなかったのですが、ここにきてストレス....とはまた違ったむしゃくしゃさというんですか、なんか漠然と物事が自分のいいように(妥協できる点も含めて)進まなくなってきたというか....まあそんな状態なので前職とかでよく心の拠り所にしていた自己啓発本読みを始めました。

 

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予め書いておきますが、以下に記載する話は読書感想文でもなければステマでもありません。この本を読んだ上で改めて自分が考えている価値観だとか信念をつらつら書いていきます。本の内容は触れてんだか触れてないんだか、そもそも読み流していますし内容を書くにしても頓珍漢なことを書いているかと思いますのでご了承ください。

 

ということで....

まず基本的に私は自由を大事にしております。そんなん皆同じだろ!という突っ込みが音速を超えてやってきますが、肝心なのは何を以って自由とするかです。

 

自由とは原則束縛されないこと、つまり我慢を強いられないということです。

ここで重要なのは、対外的に言われたやられたことを、自分が束縛だとか我慢だとか思うか思わないかということです。要は心のコントロールですね。

自分一人だけがこの世に生きていれば基本的に束縛されるということはないです(ただし一人暮らしをしたことがない人にとっては想像しづらいかも)。大体の束縛は自分の自由と相手(もしくは集団)の自由とのぶつかりで生じるものです。

 

例えばある会合で会長の代替わりが発生しました。Aさんが選ばれた時「仕方なく会長になった」、一方Bさんが選ばれた時「やっと会長になれた」と各々漏らします。客観的にみて全く同じ状況なのに、それをとらえる考え方が180度違うわけです。言うまでもないですがAさんにとっての会長就任は束縛、Bさんにとっては束縛ではないです。

 

この一連の文脈から、「依ってBさんのように、与えられた状況を束縛だと思わないことで、自由になれます」と結論付けるのがtips程度の啓発本でよくある結びなんですが、私の場合もう少し掘り下げます。

 

ポジティブ思考はまあ大事かもしれませんが、時には心の忌避にも目を向け、耳を傾けるべきだと私は思っているんですよね。それが図らずも次に何かをなす原動力になる場合もあります。

 

Aさんは仕方なく会長になった。だが人との交流の場が増えて顔が広くなった。その結果市議、県議レベルの人にも意見を通しやすくなった。

Bさんはやっと会長になれた。しかし思ったよりも仕事が多くなり、休みが仕事のスケジュールに満たされた。

 

ここで重要なのは、一つの判断決断が未来にそんなに影響しないということです。嫌々認めたことが案外面白かったり、進んで決めたことが状況を悪化させたり。勿論、嫌なことだと思って始めたものは、やはり嫌な状況がそこら中にあるでしょうし、良いことだと思って決めたことは、やはりいい結果がある程度保証されているでしょう。しかし、確定している未来というのは今の人間社会では到底予測できるものではありません。いくら過去の証拠を出したところで、それが未来に何が起こるかを決定づけるものなのでしょうか。私たちが未来について分かっていることは「時間は進むばかりで戻らないこと」と「生き物はいつか死ぬこと」くらいだと思います。

 

最終的に結論付けたいのは、自由になりたきゃ未来の事をあれこれ考えて自分から束縛されに行くな、ということです。(まあこの結論自体が一種の束縛なのかもしれませんが...)

例に出したAさんもBさんも正直どっちでもいいと思います(どうでもいいというわけではない)。Aさんの判断が悪く、Bさんの判断が良いとレッテルを貼れば、どんなに楽な対比関係を作れるか、啓発本からしたら非常に説明しやすいんでしょう。しかし、一辺倒な考え方をすること自体、自由から遠ざかっている気がしてならないのです。

 

AさんBさんは例外ですが、基本的に場所、時間、状況が全く同じものは存在しません。あったとしても極めてまれでしょう。過去の事例を参照して未来に備えることが如何に不自由な人生を作っているか、そしてこんなことをつらつら書いている自分ですら日常的にスケジューリングしているという....結局自由とは理想郷のままなんでしょうかね。

 

以上です。この本を診療所や役所銀行の待ち時間で読んでいると、なんか「嫌われる勇気」ぶりに元気をもらいました。筆者、翻訳者に多大なる感謝。

以上、ありがとうございました。